USA日記

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

最終回

留学を開始したのは2008年6月。それから2年半以上が経過。当時大学院に留学していた先輩がブログをやっていたので自分もやってみるか~という軽い感じでブログをスタートしたが、結構好評だったこともあって結局今まで書き続けてしまった。

今思い返すと、渡米したころは大変なことばかりであった。San Franciscoの空港に着いたのはいいが、BARTという乗り物の切符の買い方がわからず、たまたま近くに日本人の方がいたので助けを求めた。ユースホステルに荷物を置き、銀行口座の開設、ケータイの契約、家探し。これらを見知らぬ土地でよく1人でやりこなしたなぁと今でも思う。当時は英語力も乏しかったので、相手が何を言っているのかわからないときも多々あった。家探しに関しては、日本にいたときから何人かの大家さんとメールでやり取りをして、San Franciscoに到着して実際にいくつかの家を見に行った。実際見たところ、倉庫みたいな部屋が多いことに驚いたが、結局2年半住んだあの家が一番綺麗で交通の便もよかったのでそこに決めた。家を決めると次は寝具やテレビ、キッチン用品などの生活に必要な雑貨を買いそろえた。これらを買う際も、どこに何が売っているのかわからなかったので、デパートで滅茶苦茶高いものを買わざるを得ないこともあった。

家がやっと見つかり生活のリズムが整ってきたところで、語学学校の10週間プログラムがスタート。自分は大学院に行くこともあり一番上のクラスだったが、当時の宿題の量は半端なかった。今思えば、2年半の留学生活の間で一番勉強したのは、大学院にいたときではなくこの語学学校にいたときであった。Reading/WritingとListening/Speakingの授業は週4日毎日あって、特に前者のクラスでは宿題の嵐。Advanced Grammar、Business Englishなどの選択科目は週2回ほど。先生は全員TESOLの大学院に在籍している人か卒業した人。自分はラッキーなことに良い先生ばかりに当たったが、この語学学校の一番の欠点は、生徒の80%程度が中国人であるために、教室内の言語は中国語で溢れ、アメリカにいる実感がまったくわかないことである。先生以外にもアメリカ人のネイティブスピーカーや他の留学生と教室外でたくさんコミュニケーションできる機会があればよかったのだけど。せっかくアメリカにいるのだから。こっちは中国語を勉強しに来ているのではないのだ。

2008年後期より大学院の1学期目スタート。語学学校とはまったく違い、先生のレクチャーのスピードが速いこと速いこと。言っていることがまったく理解できぬ間に授業が終わってしまうことも多かった。それに加えて大学院のアメリカ人のクラスメートの質問している内容がまったく理解不能なことも。1学期目は机に向かう時間ばかりが留学生活の大半を占め、1日中、英語はおろか日本語すら口に発しないこともあり、自分の英語力不足のせいでストレスもたまり、留学生活をエンジョイしているとは言えなかった。留学生活が軌道に乗ってきたのは2学期の中盤を迎えたくらいである。2学期目は3科目しか履修してなかったせいか、勉強がそこまで大変ではなかった。3月末には大学院から奨学金をもらい、TESOLの学会に参加するためにDenverに行った。これが自分にとって初めてのアメリカ国内旅行で、この学会旅行がとても楽しかった。クラスメートと部屋をシェアして食事を共にし、学会のプレゼンテーションを一緒に聞きに行って観光もした。学会から帰り、自分の英語力には不満があったにはあったが、不思議なことにあまり気にならなくなってきた。最初の夏休みには日本からたくさんの友達が来てくれて、自分もニューヨークとワシントンDCに観光に行った。3学期目はとにかく大学院の授業で大忙し。睡眠時間を削るしかなく、毎日眠い目をこすって学校に行く生活が続いたけど、大学院で履修した授業の中では、興味深いトピックばかりで、課題のペーパーも教科書のリーディングも結構勉強になった。4学期目は教育実習も始まり、週に4回は6:15起きで8時からのコミュニティカレッジの授業に備えた。授業観察に来た大学院の先生からのフィードバックはほとんどネガティブなものばかりで腹が立ったこともあったが、このクラスの生徒も、教えている先生も良い人ばかりでとっても良い経験ができた。3月末には2回目のTESOLの学会でBostonへ。この学会旅行でもTESOLの友達とバーに行ったり食事をしたりして、貴重な思い出になった。5学期目はポートフォリオと修士論文の完成に大忙し。修士論文はサンクスギビングウィーク前あたりから大詰めに入り、締め切りギリギリで何とか完成。製本が完成したのはついこの間のことである。立派な本に仕上がり、付録を含めて157ページ。これほど長い論文を書くことはもう一生ないことでしょう。そして、修士論文の作業と並行して初めての学会発表。出来はともかくとして、アメリカで発表したという経験は一生忘れないでしょう。

留学していると周りの友達に言うと、「英語うまくなった?」とよく聞かれるんですが、自分の英語力が劇的に上がったかというとよくわかりません。英語力の指標であるTOEICを去年受けましたが、結果は910点。一般的には良い方なんですが、TESOLの大学院の日本人の友達のスコアと比べたら、このスコアは最低レベル、平凡なものです。950点、970点、980点、卒業した先輩の中には満点の方もいました。留学なんて一度もしてなくても970点、980点取る人だって今までたくさん見ています。大学院で勉強している中でリーディング・ライティングは教科書を読んだりペーパーを書いたりしていく中で徐々に上がっていくでしょうが、特にスピーキングに関しては向上したのかは本当に謎です。そもそも2、3年留学しただけで英語がネイティブスピーカー並みにペラペラになるなんていうほど外国語習得は甘くはないし、自分の周りでそうなった人なんて見たことがありません。ただ、海外で生活・勉強していく中で、友達と切磋琢磨して勉強したり、勉強面以外にもいろいろな困難に直面してそれを乗り越えていく中で、自分の中で自信になっていくのは実感できます。そういったAffectiveな面での成長が今回の留学での一番の収穫なのでしょう。

最後になりますが、今までこのブログを定期的に読みに来てくれた皆さん、コメントをくれた皆さん、日本で留学を応援してくれた皆さん、San Franciscoまで遊びに来てくれた皆さん、そしてSan Franciscoで一緒に勉強して多くの時間を共有してくれた皆さん、本当にありがとうございました。心から感謝です。USA日記はこのエントリーをもちまして終わりにします。ありがとうございました。
スポンサーサイト
  1. 2011/02/15(火) 10:28:50|
  2. 帰国準備
  3. | コメント:7

引っ越し

IMG_4121_convert_20110208100834.jpg

1月31日。大家さんに部屋の最終チェックをしてもらい、2年半前に入居した時に支払ったデポジット850ドルを返金してもらい、家を引き払いました。引っ越しにともない、かなりの物を捨てました。もうすでに日本へ段ボール8箱を送ってしまったため、残りはすべて持ち帰るか、家に放置しておくか、捨てるか、誰かにあげるかの選択肢しかなかったのです。

あまり着なかった服や、着すぎて日本に持って帰る価値のない服、TESOLの先輩にもらった古い教科書、寝袋、布団・シーツなど、これらはすべてゴミ箱へ。一番困ったのは電化製品。電化製品は日本同様、捨てるのに時間とお金がかかるのです。電化製品の中でも特にプリンター。こっちに来てからプリンターを3台買いました。1台目はこっちに来たばかりのときに中古で10ドルくらいで買ったポンコツのプリンター。2代目はAmazonでちゃんとしたインクジェットプリンターを買ったんですが、TESOLの論文を膨大に印刷するため、黒のインク代が半端なくかかり、新たにAmazonでレーザープリンターを買い、今にいたります。幸運なことに、2台目、3台目のプリンターに関しては、Craigslistというアメリカの巨大掲示板に広告を載せたところ返信があり、2人のアメリカ人のおじさんがうちに取りに来てくれて、どちらとも40ドルで売れました。どちらとも100ドルで買ったんで、まぁよかったんじゃないかなぁと思います。

1台目のプリンターと中古で買ったDVDプレーヤーはこっそり家のガレージに放置(笑)フロアランプや中古で買ったテレビ、先輩にもらった本棚はTESOLの友人へ。使わなかった調味料や麺類・インスタント食品、鍋、フライパンなどもTESOLの友人へ。引き取りに来てくれたみなさん、助かりました。どうもありがとう!

スーツケース2つを持ってTESOLの友人の家に荷物を置かせてもらい、アメリカ国内最後の旅、ラスベガスに向かいました。
  1. 2011/02/08(火) 10:46:53|
  2. 帰国準備
  3. | コメント:0

荷造り2

修士論文は12月17日に提出したわけだが、いまだに製本が出来上がっていない。1カ月で完成すると言われてたので昨日キャンパスのコピーセンターに尋ねに言ったが、いろいろ仕事が立て込んでて、完成は2月末になると言う。「1カ月で完成すると言っただろ?日本に帰国するので早くしろー!」みたいなことを言うと、自分のものを優先的にやってくれるらしく、2月5日までに連絡するとのこと。やはりアメリカでは「期限厳守」「時間厳守」というコンセプトは存在しないのだろうか。そして「自己主張」の大切さ。いかなる場合でも、主張すればなんとかなってしまうことがほとんどなのである。これぞアメリカ文化。これが良いのか悪いのかは意見が分かれるところであるが…。

さて、今日は引っ越し業者が段ボール箱を引き取りに来た。前の日記でも書いたように、クロネコと日通を比較して、日通の方が200ドル安いプランがあったから日通にお願いすることにした。M箱7個とS箱6個のプランは780ドル、M箱4個とS箱4個のプランで580ドル。最初、前者のプランを頼んでおいて、そんなに使わなければ後者のプランでやってくれるというので助かった。箱詰めした結果、最終的にM箱4個とS箱4個で収まった。テキストやハンドアウトなどの重いものはS箱に。服やコート、その他のいろんな小物はM箱に。箱詰めした結果、箱の体積的には結構な余裕があるのだが、重量制限がちょっぴし厄介だった。

去年の夏休みの時に今まで使ったテキストを半分日本に持って帰ったとは言え、まだまだテキストはこっちに残っていたし、紙は重さをとる。さらに大学院の授業で書いたペーパーやレッスンプラン、授業や修士論文のために読んだハンドアウトの中でも余白にみっしりメモを書き込んだものは捨てたくなかったので、それらも詰めるとなると結構な重さになった。テキストやハンドアウトを次々に詰めていくと、制限の30kgというのはあっという間である。まぁそれでもM箱の方はだいぶ余裕があったので、ダウンタウンでウインドウショッピングして、4月から仕事で使うであろうビジネスバッグをバーゲンセールで購入して詰めた。

荷物を一通り箱に詰めたら、それぞれの箱に何が入っているのかをパッキングリストに書いて、さらにそれぞれの品物にいくらの保険金をかけるかを決める。荷物が紛失したり過失があったりすると、最大その保険金額まで補償してくれるらしい。自分のプランだと1000ドルまで保険金をかけられるので、合計1000ドルぴったりになるように計算していく。そして今日は荷物の引き渡し。日本語で書かれた書類も渡さなければならないし、今回こそは日本人が来るだろうと思いきや、またもやメキシコ人だった(笑)どこもこんなもんなのだろうか。前回100ドルのデポジットを支払ったので、今日は残金480ドルのお支払い。「自分は荷物を引き取りに来ただけだから、質問があったらこちらの番号に電話して聞いてくれ」とのこと。ま、これで1ヶ月後に日本の自宅に無事到着することを願おう。

段ボールも引き取りに来てくれたし、残す荷物は捨てるか、友達に譲るか、スーツケースに詰めて持って帰るかのいずれかになった。今日はキャンパスで偶然TESOLの友達に会い、うちに来てくれて使わない調味料やお茶漬けやその他細かいものを持って帰ってくれて助かった!今住んでいる家の大家さんは2月1日から自分の部屋に入居する新しいルームメイトを探しているようで、今日は大家が不在だったため、入居したいというアメリカ人がうちに来ると言うので家を見せてあげた。まもなくアメリカを去るという実感がまったく湧かないけど、今の家を出るまであと3日。アメリカに初めて来たときに偶然見つけたのが今の家で、それから2年半以上住んでいる。去年からTESOLのアメリカ人の友達も入ってきてくれたし、この1年はすごく快適だった。いざ離れるとなると寂しいなぁ。
  1. 2011/01/29(土) 13:32:03|
  2. 帰国準備
  3. | コメント:0

荷造り

San Franciscoを去るまで残すところ1カ月を切った。そんなときにダウンタウンでは100円ショップのダイソー、ラーメン屋の味千ラーメンがオープン。味千ラーメンを試した感想は、It was ok.という感じ。チャーシューや卵は日本とほぼ変わらないけど、ネギの代わりにキャベツになっていて、麺は日本のものよりもやわらかく、スープが少し生ぬるかった。まぁこれはアメリカ人の好みに合わせているので仕方ないが。アメリカでとんこつラーメンが8ドル弱(TaxとTipは別)で食べられるので、悪くはないと思う。とにかく、San Franciscoは日本人にとって本当に住みやすい街であることを再認識した。

アメリカ東海岸では例年以上の大雪で交通機関は麻痺、日本も相当寒いと聞いているが、San Franciscoは最近ずいぶん暖かくなってきた。今日はにわか雨が降っているものの、週間天気予報によると、明日からの1週間はずっと快晴で気温も15度くらいまで上がるらしい。そんな良い天気ならSan Franciscoにいたいところだけど、明日から東海岸のニューヨークとマイアミに旅行に行く。ニューヨークは1年半前にも行ったけど、留学を終える前に絶対もう一度は行くと決めていた。マイアミは東海岸の方にいる大学時代の友達と旅行。大雪で飛行機がキャンセルにならないとよいのだけれど。

さて、帰国が近づくにつれて、いろいろ考えなければならないことが増えてきた。1つは荷物。2年半以上いたこともあって、アメリカに来た時と比べて荷物は倍以上に増えている。夏の一時帰国のときに教科書は半分くらい持って帰ってのだが、それでも荷物はまだ山のようにある。スーツケース2つだけでは到底収まりきらない。ということで留学を終えて帰る人は皆、引っ越し業者に依頼することになる。San Franciscoに限って言えば、業者の選択肢はクロネコヤマト、日通、OCSの3つである。やはり大手はクロネコと日通なので、この2つの業者を比較してみることにした。

それによると、クロネコヤマトの場合、小箱10箱もしくは大箱4箱+小箱2箱で780ドル。一方、日通の場合は、M箱4箱+S箱4箱で580ドル、M箱7箱+S箱6箱で780ドルであった。両者ともドアtoドアの引っ越し料金、梱包資材料金込み。それに加えて、クロネコヤマトの場合、荷物の申告金額が1600ドルまでの保険料金、日通の場合は前者のプランが1000ドルまで、後者のプランが1500ドルまでの保険料金が込みの値段となっている。1箱の重さの制限はクロネコヤマトが25キロ、日通が30キロまで。ちなみにこの値段は船便。航空便は異常なほど高いので留学生は船便を使うことになるが、日本の自宅に届くまで30日から45日ほどかかる。なので、日本に帰国してすぐ必要になるものはこの中には入れられない。

両者を比べると、御覧のように日通の方が少しばかりお買い得なので日通にお願いすることにした。780ドルのプランで頼んでおいて、こんなにいらないようであれば580ドルのプランでやってくれるとうから非常に助かる。1週間ほど前に業者が段ボールとガムテープなどの資材を届けに来た。日通だからてっきり日本人の人が届けに来るだろうと思いきや、メキシコ人のおじさん2人。なるほど。日本食のレストランの店員にほとんど日本人がいないように、日本の業者でも日本人が来るとは限らないわけか。「アリガトウゴザイマシター!!」と威勢よく帰っていったのがおもしろかった。早速ガムテープで段ボールを組み立てて教科書類を詰めてみた。教科書やプリント類は多い方だと思うが、それらはすべてS箱4箱にほぼ全ておさまりそうである。あとの小物や服はM箱4箱に詰めればOK。ということで580ドルのプランでいけそう。旅行から帰り次第、残りの荷物を詰めることにしよう。
  1. 2011/01/14(金) 04:45:47|
  2. 帰国準備
  3. | コメント:3
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。